40年以上前に サステナビリティを提言していた『チープ・シック』[編集人ブログ]
コロナ渦だからこそ響く? 語り継がれてきた物選びとファッションの楽しみ方
情報が古くなっても40年以上読まれてきた不思議な本
「いつか観ようと思っているけど、なかなか観ない映画」ってありますよね。僕もそういう映画がたくさんあって、コロナになって時間も増えたので、そういう映画を少しづつ制覇したりもしているのですが、同じようなことが本においても無数にあります。そういう中でずっと気になっていた本、それが『チープ・シック』でした。サブタイトルは「お金をかけないでシックに着こなす法」。いつか年老いたときに「そういえば『チープ・シック』、結局読まなかったな…」と後悔しそうな気がしたので、思い切ってAmazonで購入したのでした。
この本は過去に日本の雑誌でも頻繁に取り上げられていて、少し前には雑誌『POPEYE』が「チープ・シックを知ってるかい?」という特集を組んだのが記憶に新しい人もいるかと思います(と言っても2013年だから7年も前ですが)。
『チープ・シック』のオリジナル版がアメリカで出版されたのは1975年。その翻訳日本版が出たのが1977年。現在も刊行が続いていて、僕がAmazonで購入したのは2018年の「第21刷」(!)。この本が届いて驚いたのは、普通これだけのベストセラーになれば途中で「新装版」が出たりするものですが、「版」が40年以上も前のものをそのまま使っていたこと。文字間調整がおかしかったり、レイアウトに難がある部分もそのまま残っているのです。おそらく写真の元素材がもう手に入らないから、同じ版を重版し続けるしかないのだと推察しますが、それでも不思議と売れ続けているので、版元の草思社さんも多少困惑しながら重版を繰り返しているのではないでしょうか。
この本はカテリーヌ・ミリネア(Caterine Milinaire)さんとキャロル・トロイ(Caterine Milinaire)さんという二人の女性による共著です。カテリーヌ・ミリネアさんはフランスのフォトジャーナリストで『ヴォーグ』誌で編集者として働いていたこともある方。キャトル・トロイさんは当時大学を卒業したばかりで、その後フリーのジャーナリストとして活躍されたそうです。当時はまだ二人ともお若かったようですが、おそらくこの本がその後40年以上も読み継がれるとは想像していなかったのではないかと思います。(今は何をされているのでしょうか?)
実際この本はパーマネントな効力を持っている文章も多々あるのですが、当時はもう少しガイド本に近い要素もあったようで、巻末にはアメリカをはじめヨーロッパのお店をピックアップした「ショッパーズ・ガイド」も掲載されています。面倒なので確認しませんが、ここに掲載されていて残っている店はほとんどないかもしれません。今で言うMOOK本のような位置付けだったのではないでしょうか。
この本の日本版の翻訳者は作家であり、当時の『POPEYE』などでもアメリカやファッションに対する考察を多数寄稿していた片岡義男さん。巻末には「ぼくがこの本を読んだ感想」という文章を記されています。
「……こういった服装哲学をその土台から支えているのは、馬鹿げたものはいっさい買わないという、徹底したひとつの態度だろう。無数にある商品の中から、本物だけを厳しく選び抜き、その本物をいつまでも長く着続ける、という態度だ。(中略)機能的で着やすくしかも美しい服をベーシックとして基本にすえ、ヨーロッパの非常に伝統的な、すでに時間や流行を超越してしまったクラシックな服を、基本と実用をかねて取り込み(中略)この本で展開されている安くてシックな着こなしのガイドは、簡単に言えばこう言うことなのだ。」
さらに片岡さんはこう綴っています。
「馬鹿げたものがあまりに多すぎるいま、この本は、とても単純だけれども重要なことに目をむけなおすきっかけになると、ぼくは思う。」
これ、40年以上前の文章です。結局「馬鹿げたものがあまりに多すぎる」状況は、正直そんなに変わっていないことに愕然とします。編集人がこの『inGENERAL(インジェネラル)』というメディアを始めたきっかけは、まさにこういうところがスタート地点でした。もちろん現代は良いもの、素晴らしいものも沢山あるし、多くものはアップデートによって品質やデザインも向上しているのですが、いまだに「これ、いる?」と感じるものも多い。だからこそ本物や、この先も楽しみな「ワンランク上のスタンダード探す」メディアをスタートしたのです。
国連によるSDGs(持続可能な開発目標)の提言によって、ファッションの業界もいよいよサステナビリティに正面から向かい合うようになってきてはいるのですが、まだまだ「これ、いる?」というものは後を絶たないし、今度はSDGsの観点から生まれた「サステナブル原理主義」的おかしなプロダクトも多数登場しています。ちなみに「どんなにリサイクルしても、ダサいものを作っていたら、それは単なるエネルギーの無駄遣いでしかないだろう」というのが、編集人の見解です。
編集人の“チープ・シック”考察
やや話が逸れましたが、この『チープ・シック』がなぜここまで読み継がれるようになったかについて、編集人なりに考察をしてみました。まず、“チープ・シック”というワードの強さがあるのは間違いないでしょう。この本のタイトルが意図するところは“Cheap,but,Chic(チープ・バット・シック)=安いけど、シック”です。あえてbutを抜いたことで一つのワードを完成させたところが功を奏し、何よりも強いものになっています。
そしてあまり誰も言いませんが、「ファッションが好きな人は、それほどお金持ちではない」という現実も、多くの人の心を捉えた理由ではないでしょうか。編集人もこれに当てはまります(笑)。一般社会では、ファッションなんて脇目も振らずに学生時代に勉強をした人が社会的に成功を収める傾向は強いように感じます。(そういう人がお金持ちになって、“何となく”高級品を買う傾向も同時にあるように思います)一方、ファッションやカルチャーに脇目を振ってばかりいた人は、ユニークな人生を送りながらも、お金にはあまり微笑まれない、というのは自虐的偏見でしょうか。僕の知っているファッション関連で働いている人は、食費を切り詰めてでも好きな服に投資してきた人がたくさんいますし、そういう人たちが今もファッションを面白くしていると思います。
いずれにせよ、「金はないけど、オシャレはしたいんだ!」という反骨精神を持っている人の心を、そのタイトルも内容も読者を鷲掴みにしてきたのが『チープ・シック』の40年数年だったのではないでしょうか。
先ほども書いたように、この本に書かれていることはパーマネントな効力を持っている部分も多いのですが、さすがに情報は古く、今も「ガイド本」としての機能があるかと言えば、そうではありません。この本を聖書のような「原典」的存在に据えてしまうのもまた違うだろうと思います。しかし「流行は繰り返す」の言葉通り、図版の40年以上前の着こなしが今もフレッシュに見えたり、「やっぱアリだよね」と思わせてくれる部分は多々あり、今でもドキっとさせられる文章があちこちに散りばめられています。
この本の中で、編集人が気になった、そんな文章の一部をご紹介します。
そもそも巻頭の「はじめに」という序文に、この本の全てのことから現代の状況までを網羅しているような文章があります。
「ファッション・メーカーに命令されて服を着る時代はもう終わっています」
「ファッション雑誌の反映になってしまってるなんて、とても生き方とはいえません」
「ファッションの大量生産と大量マーケティングによって、まちがった、ろくでもないファッションが私たちの衣装ダンスの中に大量につめこまれています」
「くだらない服をごちゃごちゃと持つのをやめにすると、生き方まですっきりとしてきます」
どうです? これ。今もそのまま適用できる内容なのがちょっと悲しいところです。
この本は所々に当時のファッショニスタたちのインタビューとともに、いくつかの章に分かれています。
特に言葉に強いパワーがあったのは「ほんとうにクラシックなもの」の章。
「仕立てのいい、最高の品質の服で、その服じたいに人の注目を集めたりしない服。そして、6年や8年では流行おくれになったりはしない服。それがほんとうにクラシックな服です」(「ほんとうにクラシックなもの」の章)
また『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』の編集長として活躍し、その姿はのちにドキュメンタリー映画にもなったダイアナ・ヴリーランドさんは同章の中でこう言っています。
「スタイルがすべてね。スタイルと言う言葉が、いちばん重要なの。ファッションという言葉もうまく理解されてないわね。なにを意味するのか分からずに使っている人が多いから。経済とその時代の社会的な状態によってつくりだされるリズムが、ファッションなのよ」(ダイアナ・ヴリーランド「「ほんとうにクラシックなもの」の章)
それから「ハウツー」的な部分では、いち早く「スポーツ・ウェア」をファッションに取り入れることを提案していたり、「作業着の着こなしかた」という章では、ワークウェアやミリタリーもののファッションとしての活用を促したりしていますが、これはいまだに効力のある先見性だったと思います。
ちなみに本書の目線は、女性の編集者ということもあり、基本的には女性目線です。メンズも等しく扱ってはいるのですが、語り口としては女性に向けている内容になっています。それでも本質やディティールもメンズにそのまま適用できます。
“チープ・シック”は「安けりゃいい」という概念ではない
タイトルから誤解されがちですが、この本の中で言っているのは「すべてを安く済ませろ」ということではありません。
それではファストファッションや古着だけが正義になってしまいます。先ほど片岡義男さんの文にもあったように、「機能的で着やすくしかも美しい服をベーシックにしながら、クラシックな服を基本と実用をかねて取り込み、本物だけを厳しく選び抜き、その本物をいつまでも長く着続ける」ということを推奨しているのです。特に靴やアクセサリーは良いものであればお金を投入するべきだ(その方が長い目で見ると安い)と書かれているように、お金をかけるべきところと、そうでないところのメリハリの話というのがこの“チープ・シック”の意図しているところです。そこにうまくワークウェアやミリタリー、スポーツウェア、そして古着や民族衣装などもエッセンスとして取り入れようと言っているので、現代においてもまるで違和感のない内容なのです。
ここまで読み継がれていることからその内容は当然予想はしていたのですが、編集人が今になってこの本を読みたくなったのには理由があります。
今年のコロナウイルスによって、さまざまなことが変貌し、ダメージを受けているのはご存知の通りです。飲食業や旅行関係も大変だし、アパレルも相当な打撃を受けています。そしてこれは何かの業種に限った話ではないのですが、仕事が減ったり、給与や報酬が減額された人も相当多いはずです。編集人も例外ではありません。この先だって経済的に不安ばかりです。でも不思議なもので、「服が欲しい」という気分はやっぱりあるんですよね。だから今もECサイトを見たり、上野あたりをブラブラしたり、古着屋をチェックしたり、持っていたミリタリージャケットにワッペンを買ってきて自分で縫い付けるようなことを繰り返しています。
もともと編集人は目立つ高級品や限定品を買って喜ぶタイプではないですが、自分だけでなく、そういうトレンドは一旦終わりそうな気がしています。コロナによって当面「7割経済」になるとも言われていますが、実際そうなっても、「無駄な消費はせずに、本物を見極めて買って、自分のアイデアやセンスを駆使して、古いものでも安いものでもフレッシュに着こなすことを楽しむ」やり方はたくさんあると思います。そして、奇しくもこれってSDGsが提言していることほぼそのままなんですよね。
片岡義男さんがこの本の最後で
「馬鹿げたものがあまりに多すぎるいま、この本は、とても単純だけれども重要なことに目をむけなおすきっかけになると、ぼくは思う。」
と書かれていることは、40年以上経った今でも強く響いてくるし、あるいはコロナ渦の今こそ強く同感してしまうのです。
この『チープ・シック』という本も、“チープ・シック”な価値観や概念も、今だからこそさらに重みがあるような気がしています。(武井)
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